――話は変わるが、

――話は変わるが、いや変わらないかな。さっき、僕にとっての救いってなんだろうって考えた。救いっていうのは、僕の気持ちを慰め明るくしてくれるものだ。世間には、家族が救いっていう人が多いのだろうか。僕の母は、家族が救いと言うよりは、家族は助け合わなければならない、一緒に居なければならないと考えている。 でも、僕にとって家族は慰めにはならない、明るくもしてくれない。血の繋がりのある安心感だけかな。いざって時に頼れる。そういった面では、天涯孤独でなくてよかったとは思うけど。血縁による安心感に甘えて頼り切ったり、甘えたりするってよくない。親が子供を束縛するのは子供の人生を駄目にする。自由にできない子供は不幸だ。可能性がいろいろあるのに、親がこれやっちゃ駄目あれやっちゃ駄目と、子供が自発的に興味、好奇心を抱いたものに純粋にチャレンジできない。親の物差しだけで判断してしまうので、親に教養がないと駄目な子供が出来上がる。
 今は、子供によくない影響を与える親を毒親と呼ぶらしい。毒だ。と思いながら毒親をキーワードにインターネットで検索したら、毒親に関する素晴らしい資料をまとめたページをみつけた。ざっと読んでみたが、概ね自分が直面している問題と合う。別に親が嫌いというわけじゃない。自分が一人の人間として独立して自らの人生を歩みたいだけなのだ。それを無意識に邪魔している親が嫌なのだ。
 はじめはよかった。自分が独立して一人の人間として独りで稼いで生活できていたから、自分自身というものがあった。でも、再び母と暮らすようになって、徐々に干渉が酷くなった。自分が一人の人間であるということを母は理解していなかった。母にとって自分は「私のモノ」なのだ。いつまでたっても。親の所有物なんだとはっきり言われなくても態度で感じ取ることができる。もう最悪だ。逃げ出したい。逃げ出したい? 自分は十九歳のとき家でした。そのときはあまり考えていなかったが、理解出来ていなくても無意識に親の過干渉に拒否反応をおこしていたのだろうか。一人暮らしを長くしてきて、やっと一人の人間として成長をはじめようとしたときに、母とまた暮らし始めたことは失敗だった。自分の成長にとって失敗だ。血の繋がりのある家族と共に暮らすのが嫌なわけじゃないが、僕は、一人の人間として成長していきたい。


Evernoteの日本法人がなくなるってんで、超久しぶりにevernoteにログインして昔のノートを漁っていたら出てきた。10年以上も前にこんなこと書いてたんだなあ俺。

「一生」とか「生涯」とか「永久」とかを謳うサービスはもれなくサ終するというジンクスがまことしやかにささやかれておりますが、果たしてeverもそうなってしまうのでしょうか?

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