ジョン・メイは死ぬ必要があったのか(ラストのネタバレあり)

 Gayoで無料配信していた「Still Life」(邦題『おみおくりの作法』)という映画を観た。その感想を書く。


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 ジョン・メイは死ぬ必要があったのか。

 これはもう最後エンディングのあのシーンのためだけに死んだと言えそうだ。エンディングのためにジョン・メイは死んだ。作者に殺された。まあ、このエンディングがないと映画にならなかった思うので仕方のないことだとは思う。

 それにしても最後、個人的には、ひっそりと墓の中に眠りにつくという終わり方でもよかったと思う。そちらの方が、彼の行いのすばらしさと人生のむなしさに、しんみりと浸れた気がする。人知れず報われないことへの感動というか、映画を視聴した人だけが彼を弔うというかたちでもよかったのではないだろうか。そういうひっそりとした秘めた感動でもよいと思った。これまでメイが見送ってきた人たちの霊?が彼を見送るという演出は、下手をすると月並みで興ざめを誘うと思う。実際わたしはそのシーンに納得はできたものの、ちょっとありきたりじゃないかと、それまで感動していた心がすこし冷めてしまった。それまで感動していたというのは、ジョン・メイが最後に世話をした人物の葬儀のシーンだ。その人物に縁のある人たちがこぞって葬儀への出席を断っていたのに、実際に葬儀のときには全員が出席していたのだ。そこのところでわたしは泣いた。その人物は葬儀への参加を断られていることでもわかるが、生前は刑務所に入るような最低な人間だった。でも、どんなクズな人間でも、人生のさいごはやはり特別なのだと思わされるシーンだった。こう書くとジョン・メイがひっそりと眠りにつけばよかったというのは矛盾しているように感じるが、たとえ映画の中でだれもジョン・メイの葬儀に出席していなくとも、視聴者がジョン・メイを見送っている。彼の人生は視聴者がちゃんと観ていて、誰よりも知っている。だから、視聴者に彼を見送らせるというかたちのほうが、より心にこの映画を印象づけることができたのではと思うのだ。

 主人公ジョン・メイは、一般的な人間ではない。一見すると慎ましやかで大人しいタイプの人間だ。しかし、まじめで誠実な男のようにみえるが、実は変人だとわたしは思う。世話をした死者の写真を収集していることもそうだ。赤の他人の遺影を集めるなんて、人によっては気持ち悪い行為にも感じる。それに食事はかんづめと食パン、それとりんごという質素というよりは生活力のない彼の暮らしぶりも。ひとり孤独に他人の死の世話を続けているうちに、感性が歪んでしまったように感じる。そんな彼は、気に入らない相手には、こっそりとその相手のものにしょんべんをかけて嫌がらせをするという陰湿さも持っている。ジョン・メイを解雇する上司の自動車にしょんべんをかける姿があるが、そのシーンから、途中彼のアパート住人たちが犬のしょんべんで言い争いをしていたシーンのそのしょんべんも彼の仕業だったということがわかりくすりと笑わせてくれる。この映画には、そういった小ネタも散りばめられている。ジョン・メイを解雇する現実的な上司の所有する自動車がアウディーというのもなかなかに風刺が効いていていい。ジョン・メイの変人ぶりと、一般的な社会のふつうとの対比にもおもしろさを感じる映画だ。だから最後にジョン・メイがひそっりと埋葬されるほうが、映画のなかで扱ってきた社会と彼との対比をより際立たせることができたと思うのだ。

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